般若心経のパワーと唱え方

2020年2月14日

私は、初詣でにも墓参りにもほとんどいかない罰あたりですが、般若心経のマントラだけは、気づいた時に唱えるようにしています。

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般若心経のパワーとは

般若心経のパワー、それは「呪詛返し」です。

例えば、あなたに落ち度がないのに誰かから悪口を言われたり、恨まれたりしたとします。

そういう時唱えて欲しいのが般若心経のマントラです。

羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提僧莎訶 般若心経 (ぎゃていぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか はんにゃしんぎょう)

出典:仏説摩訶般若波羅蜜多心経

あなたが、心ない言葉を浴びせられた時、その言葉を発した相手に対してマントラを唱えましょう。

般若心経があなたに向けられた悪意を反射してくれます。

反射した悪意は、また相手に戻っていきます。

つまりあなたに向けられた悪意が強ければ強いほど、相手の受けるダメージは大きくなります。

あなた自体は、唱えれば唱えるほど神気を帯びます。

経過観察をしてみる

般若心経を唱えた後、相手に何が起こるか観察してみましょう。

私のフィードバックでは相手に以下のようなことが起こりました。

・懲戒免職に近いけん責・左遷・退職
・訴訟
・交通事故
・不眠
・病気
・会社が倒産する

般若心経のパワーおそるべしです。

般若心経の唱え方と注意点

般若心経は相手に呪詛をかけるマントラではありません。

「北斗の拳」に北斗二指真空把という秘奥義が出て来ます。

この奥義は放たれた矢を2本の指で挟みそのまま相手に返す、という技です。

つまり矢を放たない相手に対しダメージ与えることはできません。

般若心経も同じく、あなたに悪意をもたない相手に対しマントラを唱えても、自分の中に悪想念がたまっていくだけです。

そうなると自分自身に負のエネルギーがたまっていき、いわゆる「人を呪わば穴二つ」の状態になってしまいます。

般若心経を唱える時は注意しておきましょう。

般若心経とは

般若心経とは、量子力学と唯物論を説いたお経です。

アインシュタインが言ったようにE=MC2です。

世界のエネルギーは不変で形を変えているだけです。

そういう世界の成り立ちをE=MC2という方程式で表現したのがアインシュタインだとすれば、お経で表現したのが般若心経と言えるでしょう。

個人的に、ただ目に見える物や計測できるものだけがエネルギーとは思っていません。

心にもエネルギーがあると考えます。

相手から向けられた負のエネルギーを、あなたがまともに受け取る必要はありません。

般若心経のマントラを唱え、相手にそのまま返してしまいましょう。

そうすると、相手が「人を呪わば穴二つ」の状況になります。

般若心経の歴史

仏教が誕生したのは、今から2,500年前です。

開祖は、ゴーダマ・シッダールタです。

ネパールの南部にあった小さな王国の王子であったシッダールタは29歳で出家し、厳しい修行の末に悟りを開きます。

悟りを開いた後のゴーダマは、仏(ブッダ)や釈迦と呼ばれます。

釈迦は弟子たちと集団生活をしながら教えを伝えます。

ブッダは、約40年布教活動を続け80歳で亡くなりました。

その後、仏教は弟子たちにより法華経、維摩経、華厳経といった風に分かれていきます。

般若経もその一派です。

この般若経をインドから中国に持ち帰り、サンスクリット語から漢訳したのが、玄奘三蔵です。

いわゆる三蔵法師ですね。

玄奘三蔵は、629年に長安を発ち陸路でインドに向かいます。

インドで仏教を勉強し645年にお経や哲学書を持ち帰り、亡くなるまでインド語から漢文に翻訳し続けました。

「西遊記」は、彼の著した「大唐西域記」を参考にして書かれました。

日本に漢訳の般若心経が渡来したのは8世紀です。

遣唐使によってもたらされました。

その後、日本中に普及していきます。

あの弘法大師も、「般若心経は呪文である」とみなし崇拝しています。

苦情は言っていいが、人の悪口を言ってはいけない

例えば、あなたが他の人が気に食わないという理不尽な理由だけで悪口を言ったとします。

もし相手が般若心経を唱えて、「呪詛返し」をしてきたらあなたの人生に上がり目はないでしょう。

事故やら災難やら病気やらに遭遇しまくります。

他の人に対し正当な不満があれば、正々堂々窓口に苦情を申し立てましょう。

組織にも社会にも苦情を受け付ける窓口が必ずあるはずです。

お札や壺、仏像は不要

般若心経は唱えるだけでご利益がありますよ、あなたを守ってくれますよ、というありがたいお経です。

よってお札や壺、仏像は不要です。

ただ気分を出すために仏像を一体置いておいてもいいでしょう。

まとめ

神仏をほとんど信じない私ですが、畏(おそ)れるものは畏れるというのが個人的な姿勢です。

長い人生、そういう姿勢を持っていないと、どこかで間違ってしまいそうな気がするのです。

現代において道徳観念というものは、年々うすまりつつあります。

しかし、社会の根底にはいつの時代も道徳や宗教といったものが存在します。

そういうものを軽んじないことです。

最後まで記事を読んでいただきありがとうございました。